My Sunday Feeling 0522
My Sunday Feeling No.143
ことばはいつも後からやってくる。
子どもの頃から続けている上山藩鼓笛隊だが(山形の無形文化財!全員に覚えてもらえるまで何度でも伝えていくよ)
天皇陛下即位の儀に続いて、A.B.C.ライブをきっかけに、色んな人から質問されることが多くなった。
ねぇ、ここで正直に言わせて。
子どもの頃からそばにあったからさ、わたしは詳しいこと全然理解していないのよ。
あなた、毎日目にしてきたツツジの歴史を気にしたことはお有りで?
もちろん先代の城戸口先生のことは大尊敬しているし、
色んな人の想いや行動があって守られてきた伝統芸能ということも知ってる、ずっと見てた。
そして、わたしも大人になって「日本の伝統芸能」の間違った解釈をしている人、自分の手柄にしようとする人、浅はかな理解でペラペラ喋ってる人をみて、ほとほと呆れた。
(これは、声を上げていかないと大変なことになる…)という危機感も相まって
上山藩鼓笛隊の歴史を、もう一度紐解いてみることにしたのである。
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今から20年前、西暦2002年。
カメラ片手にわざわざ奈良県から!
上山藩鼓笛隊を取材しに来ていたお兄さんがいたことを、ふと思い出した。
(わたしがやっている上山藩鼓笛隊って、もしかしたらすごいのがもすんねわ。)
まだ子どもの私にでも、彼の行動力はそう悟らせた。
2007年秋。
「『春秋』という雑誌に、以前から私たちを取材してくれていた奥中康人さんの記事がのります。みんな買って読んでください。」と城戸口先生からお話があった。
あのお兄さんだ!2002年から取材を続けて、記事を書かれたんだ!
母と上山市のコンビニに買いに行った記憶がある。
その文章の面白いことよ。
自分たちがやっていることが、とても誇らしく思えて、子どもながらに(これは背筋しゃんとすねどわれな。)と凛とした気持ちを覚えた。
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2015年12月25日。
大好きな城戸口先生が天国に旅立った。かなりショックだった。
私の上山藩鼓笛隊で篠笛を吹く原動力は、
城戸口先生の喜ぶ顔が見たかったからである。
とその時初めて気がついた。
このことを、あの奥中さんはご存知なんだろうか。今どんな気持ちなんだろう。と長い間考えに耽っていた。
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2022年5月17日。
静岡文化芸術大学へ。
奥中先生に会いに行ってきた。
奥中先生は、静岡文化芸術大学の芸術文化学科の学科長になってらっしゃった!
あの方が、文化芸術学科の学科長になっているという事実がとても嬉しかった。
そこで、私がこれから先正しい歴史を語り継いでいけるように、幕末鼓笛隊という日本の伝統芸能が消え失せないように、奥中先生にたくさんのことを教えてもらった。
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「上山藩鼓笛隊」
徳川家の譜代大名である上山藩では、江戸末期の戊辰戦争の頃にフランス式の調練を行っており、その時に演奏されたのがこの鼓笛楽です。
明治11年(1878年)藩主を祀った月岡神社の遷宮式神輿渡御行列に参加して演奏を行ってから、毎年、
月岡神社、宮脇・二日町両八幡宮の三社合同秋祭りで演奏することになりました。
明治末期に一時中断しましたが、昭和2年(1927年)に復活して今日に至っています。
〜2017年11月3.4日。@大阪城
大阪城・ブルターニュ大公城友好城郭提携記念パンフレットより〜
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私から奥中先生へ。
「このパンフレットにはフランス式と書いてありますが、先生の本を読むと、もう少し複雑な歴史が絡んできていますね?」
奥中先生「良い質問ですね。それではお答えしていきますね。」
1853年黒船来航。ペリーがに日本にやってきましたね。
長崎だけでヨーロッパの人々と交易をしていましたが。
日本人の心の声
(黒船4隻でやってきた、やべぇ…。
日本も同じように軍事力つけなくっちゃ…。
槍や刀だけじゃなくて、鉄砲うっていかなくっちゃ。ねぇ、教えてぇ〜〜〜!)
そうして、まずはオランダ人に教わりました。
(教えてくれるのはオランダの人しかいなかったのでね)
軍艦の操縦の仕方とか、鉄砲の撃ち方を。
その際に、スネアドラムも習ったので
「オランダ式」と呼ばれるようになりました。
ここでクエスチョン
「オランダ式?イギリス式とどう違うのですか?!」
そうなんですよ。たしかにオランダの音楽もイギリスの民謡もあるけれど。メソッドは一緒なんですよ。
だからね、オランダから伝わってきたから「オランダ式」と名付けたが、そこにオランダのリズム等がある訳じゃあないのよね。
(日本にあるインドカレー料理やさんが、だいたいネパールと混ざってるのと似てますね!
あはは。イギリスとフランスの教則本も、そういう基本的なところは一緒なんです。)
はい。ペリーが日米和親条約や日米修好通商条約
を結びました。
それによってアメリカのみならず、イギリス、フランス、ロシアも日本にやってくるようになりました。
そこで日本人は知ってしまったのです…。
(どうやら、オランダのドラムの叩き方や軍隊のシステムは、ヨーロッパでは遅れているらしい!情報古すぎるー!)
ということをね!
オランダが力を持ってたのは江戸時代初期で、
幕末はアメリカ、イギリス、フランスが強かったんです。
(その時アメリカは南北戦争で忙しかったので)
イギリスとフランスが親切に教えてくれました。
イギリスとフランスの軍隊のお偉いさんを招いて、軍隊のシステムを新しいものを取り入れたのよ。
そこで!
ドラムだけじゃなくて、笛と大太鼓もつけて鼓笛隊のようなことを教えてくれたのがイギリス人なんです。
鼓笛隊のことを明治や幕末の時に「イギリス式」と呼んでいましたが、それも「イギリス人に教わったから」そう呼んだのであって、ドラムのリズムなどは同じなのです。
日本ではずっと太鼓はオランダ人から教わったものであったのですが、そこにイギリス人から教わった鼓笛隊のようなものが加わりました。
日本では、薩摩藩が最初に取り入れたと言われています(あの西郷隆盛でお馴染みのね!はぁ~勉強になります⭐️)
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ここからが上山の話。
1868年4月。
仙台から奥羽鎮撫軍が峠を越えてやってきて、
庄内藩を攻略する前に、上山城に立ち寄りました。その行軍には鼓笛隊がいて、軍楽を演奏していたと伝えられています。
先導を務めたのは天童藩の吉田大八でしたが、鼓笛隊は、鎮撫軍の主力を占めた薩摩藩か長州藩の楽隊だと考えられます。
上山城下に響く軍楽は、後に天皇が江戸城に入るときの鼓笛の音と同じように、新政府軍の力を示唆する効果があったのかもしれません。
なので、上山藩にはイギリス式の鼓笛隊がやってきたんではないか?と考えられるんです。
それと同じ時期にね、フランスからも学んでいたのですよ。
フランスは、鼓笛隊よりもラッパを教えることに貢献したのですよ。
はい、ここからややこしい大人の事情ね。
(大人ってほんとむずい。いやんなっちゃうわ。歴史覚えるの大変だからさほんと。)
幕府はフランス式を割と大切にしたのです。
フランスに教えてもらった新しい太鼓を買ってみたり、兵隊さんの動かし方をフランス語を使ってトレーニングしたりしていたんです。
薩摩藩はイギリス式をとっていました。
上山藩は最初は幕府側だった。なので、フランス式をとってましたよと。
(上山藩のお殿様は藤井松平氏。徳川家の親戚ね。)
途中でイギリスの鼓笛隊を伴った薩摩藩がやってきて、上山藩は悟ったのです。
「これからは、幕府の時代じゃないよねぇ」
そうして、上山藩はイギリス式を取り入れたとされていますが、いちいち説明すると大変だしみんなも覚えられないので
「フランスから伝わってきたよ」
と言っているのです。
藩の中でも、どちらにつくかアレじゃないですかぁ。角立つじゃないですかぁ。
なので藩によっては
「Aさん邸ではイギリス式やっててね。
Bさん邸ではフランス式やってね。」
上山ではフランス式やってるけれど
上山の江戸藩邸の武士の人たちはイギリス式学んでたとかね。
そこから女人禁制だったところから、どのようにして女性が参画できるようになったのか等の話はまた今度…。
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長かった…。ここまで書くのに何日かかったんでしょう。最後まで読んでくれた人はありがとう。
結婚してください。
私はここを上山藩鼓笛隊の辞書がわりに、何度も戻ってくる場所にするんだと思います。
ことばはいつも後からやってくる。
ことばが、迷うあなたや私の道標になってくれますように。
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